前回は、2024パリオリンピックのブレイキンについて述べましたが、今回は同パラリンピック水泳で大活躍した木村敬一選手を話題にいたします。
木村敬一選手は、1990年(平成2年)生まれの現在35歳です。プロフィールは、
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先天性疾患による網膜剥離で、2歳のときに全盲になる。
母の勧めにより、10歳のときに水泳を始める。
2003年(平成15年)、滋賀県立盲学校小学部卒業と同時に上京、筑波大学附属視覚特別支援学校(当時の学校名は筑波大学附属盲学校)に入学し、同校水泳部で頭角を現す。 高等部在籍中の2008年(平成20年)、「北京パラリンピック」に出場する。
2009年(平成21年)4月に日本大学文理学部教育学科へ進学し、健常者の水泳同好会に入会する。同大卒業後、日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程へ進学する。
大学4年時に出場した2012年(平成24年)「ロンドンパラリンピック」では旗手をつとめ、銀メダル1個と銅メダル1個を獲得する。
ロンドン以降、日本大学文理学部教授の野口智博コーチ(元400m自由形日本記録保持者)に師事。週10回のパーソナルトレーニングで2016年(平成28年)「リオデジャネイロパラリンピック」での金メダル獲得を目標に厳しい練習を積んだ結果、銀メダル2個、銅メダル2個を獲得する。
しかし、目標の金メダルに届かなかったことに満足できず、一時は引退も考える。
2018年(平成30年)には、リオ大会で金メダルを争ったアメリカのブラッドリー・スナイダーを指導したコーチに師事するべく、単身でアメリカにわたりトレーニングを行う。
2020年(令和2年)「東京パラリンピック」では100mバタフライで自身初となる金メダルを獲得、100m平泳ぎでは銀メダルを獲得する。
2024年(令和6年)「パリパラリンピック」では50メートル自由形と100mバタフライで金メダルを獲得する。
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わたしは今夏、パリパラリンピックが始まる前に彼の著書『闇を泳ぐ』(2021年8月・発行所:株式会社「ミライカナイ」)を読みました。
木村選手の全盲で行動が不自由極まるにもかかわらず、底抜けにポジティブで自己肯定感の強さに驚くと同時に大いに励まされました。
以下、本文を引用しながら彼の人となりを紹介し、闇の世界に生きる人たちを慮るとともに、皆さん方の励みとしていただきたく存じます。
≪30年間、ずっと思ってもらえているなんて、僕の目玉はしあわせ者だ。だから、父と母には感謝しかない。
そんななか、両親が唯一救いだったのは、手術の前後で僕の性格がまったく変わらなかったことだったという。
完全に見えなくなったことで落ち込んだり、笑わなくなったりすることはなかった。見えなくても、それまでと変わらない、元気な子。それだけで、十分だった、と。
僕は、なぜ自分は見えないのだろうと疑問に感じたことがないし、見えないことが怖いと思ったこともない。
見えていた記憶がないから、僕にとっては見えない世界が当たり前なのだ。≫
12歳で上京し筑波大学附属盲学校の寮生活ではこんなオイタも。
≪就寝時間をとうに過ぎた土曜日の午前2時。僕らは谷口君の部屋に集まり、真っ暗ななかで、持ち寄ったスナック菓子をつまんでいた。真っ暗ななかで、といっても先生に見つからないために暗くしているわけではない。そもそも僕らは、電気を点けないからだ。弱視の井端君は別としても、僕らにライトの電力は必要ない。…なんてエコな集団だろう≫
夜中に寮を抜け出し、規則を破ることもしています。
≪背徳感とスリル、そして得られる達成感に、僕らは一夜で魅了された。無事コーラを手に入れられたことにすっかり味をしめ、すぐに、次なる計画を企て始めた。≫
≪深夜の大脱走は、その後高校を卒業するまで、約4年間にわたって僕たちの密かな楽しみであり続けた。≫
さらにはこんな大冒険も、
≪身長よりは低いが、1.5メートルほどある鉄製の校門をよじ登るのはなかなか骨が折れた。こういう時に白杖はとても邪魔で、折りたたんでも30センチほどある白杖を片手に持ったまま校門を越えるのは至難の業。僕より背が高くて運動神経もよく、白杖を持たない嶋田君はいつもあっさり校門を越えているようで、うらめしかった。≫
と、ワルに関しても健常者に負けていません。
彼の日常生活はポジティブ感に満ちあふれています。
≪たしかに、僕は運がいい。なんて幸せなんだ≫
≪受験生活は、大変ながらも意外と快適だった。なにせ僕には、伸びしろしかない≫
≪食事に関して唯一困ることといえば、買った食材の賞味期限がわからないことだ。においと、実際に食べてみて確かめるしかないから、下手をすると腹をくだす。だから、基本的に買い置きはせず≫
パラリンピック2回目となる2012ロンドンパラリンピックでは思いのほか成績が上がらず、
≪僕はこの時まで、正直、自分は特別な星の下に生まれた側の人間だと思っていた。だからこそ努力したし、努力をすれば、特別なものを手に入れられると信じていた。
でも、違った。≫
と一時、落ち込みますが、
≪結局のところ、成長は、追い込まれた時にするものなのだと思い知る。≫
と、すぐさま立ち直りを見せます。
最後に、
≪でもひとつ、知ってほしいことがある。僕が生きてきた闇の中は、僕が泳いできた闇の中は、温かくて、居心地がよくて、とても幸せな場所だということ。暗闇の中は、決して絶望にあふれてなんかいない。腕を動かして、足を動かして、どこまでだって行くことができる。どこまでも、前に進むことができる。これまで、何度も何度も尋ねられた質問がある。もし、目が見えるようになったら?もし、目が見える人生だったら? 僕はその時、本心からこう答えている。 僕は、自分が生きているこの人生が大好きで、この闇の中が、泳いできた世界が、何よりも大事なんだ。だから、何度だって、この人生を生きたいと思う。木村敬一が泳ぐ闇は、無限の可能性に満ちた大海原だから。≫
と締めくくり、あくまでも自己肯定の世界を前向きに生きています。
私どもも常日ごろ〝もう年だ〟〝腰が痛い〟〝膝が痛い〟〝肩が上がらない〟というネガティブな言葉はなるべく発せず、木村選手に見習い、いつでも「この人生が大好き」という日々を過ごしてまいりましょう。
つづく